チリ地震津波の再来かも?。被害の無い事を祈る!。

2月28日(日曜)雨 暗い
午後から 晴れるとの予想だが?
其れよりも チリにて大地震との事。
ハワイにて1.5mの津波が観測されたとの事で なんかしらの津波に依る影響が三陸各地に有るのではないか?。

昭和35年の初夏だったと思う? チリ地震津波気仙沼にやって来た!。
まさにやって来た  です。
子供だったので 全くの傍観者では有ったが 当時 河原田2区に住み 道路を隔てた河原田1区越しの港町の屋根とその先に有る、海面に浮かんだ牡蠣筏が、目で追える程の速さで動いていたのが見られた。
後で 何処まで海水が上がったのかを見に行ったら、河原田の通り北側 気仙沼公立病院といそや酒店の間の気仙沼小学校登校路坂道入り口あたりまで 牡蠣の樽が散乱してたのを 思い出す。

朝5時前だと思うが 母親に津波だと起こされて 服を着こんでからの事だった。
小野良の資材置き場だった ”通称どかた山”の南側に開けた場所があり 港町前の内湾の状況がいつでも見渡せる事が出来た。
牡蠣筏や木戸裏造船や大浦唐桑大島方面と見えてたんだが、勿論気仙沼造船からの”なんべえ”方面への突堤 も見えてたはずなんだが?あの時の状況は知らない。ただ 牡蠣筏が湾の外から中へ 中から外への動きだけは良く見えた。

弁天町辺りに住んでた知人の家族3人兄弟が家に来た。高台に有る我が家なので知人が子供達を安全な場所へと思い、我が家に行くようにと指示した模様。母は炊き出しして飯を彼らに食べさせた。
後年 再会したら 当日の事を とても感謝された。

志津川では被害が有ったみたいだったが 気仙沼は 牡蠣筏ぐらいだったのではないだろうか?

いずれにしろ 怖い思い出で有る事は間違いないし、
あのころの文集へは、同世代の連中の記録が凝縮されて保管されてるんだろうなぁ~?

備え有れば憂い無しです。

湾の水が引いたら 気をつけて!。